りんごって何色ですか? | 東進ハイスクール柏校|千葉県

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2013年 7月 14日 りんごって何色ですか?

担任助手の松尾です。暑いですね。頭がおかしくなりました。というわけでこんな質問です。

 

「りんごって、何色ですか?」

 

青りんごには失礼ですが、「赤」という答えを思いつく人が大半でしょう。ですが、もし、あなたの知り合い全員が口をそろえて「りんごって真っ黒だよね」と答えたら、どうしますか?

 

おとなしく自分の意見を変える、という選択肢がまず思い浮かび、そしてすぐ却下されるでしょう。そんなことしたら自分の人生を全否定するのと同じだという気持ちが作用するのだと思います。やはり説得する方向で人は動くのではないでしょうか?しかしどうやって?自分だけが赤いと思っているりんごが確かに「赤いのだ!」ということを、あなたはどうやって証明しますか?

 

こう言われると少し疑問がわいてくるでしょう。目で捉えて頭の中で想定している「りんご」は果たして本物のりんごだと言えるのでしょうか?「他人」は本当に自分と全く同じような「りんご」を想定しているのでしょうか?難しい問題だと思います。

 

哲学者のカントは、私達一人一人が想定する「りんご」はみなバラバラのものであり、私達には絶対に認識できない真実のりんごはそれらと別に確かにあると主張しました。「物自体」と言われています。要するに、たった一つの正しい姿は確かに在るのだけれど、目で見て電気信号に変換され脳で再生される過程で、その正しい姿は歪曲されてしまう、故に正しい姿を確認することは決してできない、と言う訳です。「りんご」と言われて私たちが思い浮かべるイメージはみんな違っていて、しかもそのどの一つとしても真実のりんごの姿と同じものはない、ということなんだそうです。なんだか希望の無い、暗い話ですね。

 

しかし、デカルトは言いました。「我思う、故に我在り」と。これは、「確かに真実の姿はわからないかもしれない。他人と全く同じものを想起してはいないかもしれない。最早何が真実かわからない。ただ、たった一つだけ信じられるものがある。それは、今自分が想定している『りんご』の姿である」ということを言っているのです。誰に何と言われようと自分は「りんごは赤い」と思い続けているという事実、これだけは疑いようのない真実なのだ、だからこそ私は存在する。そんなことを言っているのです。ちょっと希望を取り戻せました。

 

そしてさらに言うと、この問いは、実は近代哲学最大の問題にまで発展するのです。へー。

 

目の前にりんごがあるとしましょう。ここまで来ると最早、それが本当の「りんご」かどうか証明できないでしょう。脳で処理されて、りんごと思い込んでいるだけかもしれない。「でも手にとって食べれますよ」と言うかもしれない。でも、それさえも思い込みだったら?「噛んだ時の感触もあるし、味だってあるじゃないですか!」って?でも、それさえも思い込みだったら?…。

 

自分が何らかの方法で認識をしていることは真実かもしれない。けど、認識する以前の世界、つまり文字通り「目」の前にあるでろう唯一の正しい姿と自分の認識や想定が全く同じかどうか、証明する事など出来ないのです。じゃあ、今目の前にいる「他者」って、誰…?というか、何…?

 

近代哲学最大の難問、「他者問題」です。

 

 

 

 「学問とは世界を見るためのメガネのようなものである。それはたくさんの種類がある」と言った人がいます。哲学って難解だと思います。僕も中学の時授業で少し触れて以来全く縁がありません。けれど、こんなメガネをかけて世界をみるのも、たまには面白いかなぁ、って思ったりはします。

 

 受験勉強を長くやっていると、考えるのが苦痛になるときが来るでしょう。でも本当は、答えのないことを永遠と考えることって、案外おもしろく新しい発見に満ち溢れたものなのではないか、そんな風に思います。

 

 

ちなみに僕はりんごが大好きです。余談ですが「リンゴ」とかたかなで書くよりも「りんご」とヒラガナで書く方が好きです。では。

 

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